村田沙耶香・著『しろいろの街の、その骨の体温の』


しろいろの街の、その骨の体温の                                 

 

端的に言って、性愛が描かれていると思います。
愛と性を描くにあたって、村田沙耶香は、小学4年生の女の子結佳と男の子伊吹を設定しました。
それは、性が先行しているし、一見、愛は描かれていないのではないか、とも思われます。
 
私達は、性愛における「愛」の部分ばかりを切りとって過大評価してはいないでしょうか?
「愛」という一見わかったもののような、実は実体のないものの中に、肉体と感情からなる「疼き」を閉じこめて満足しているのではないでしようか?
なぜなら、それが楽だから。
 
性愛を切り離して愛に重きを置いた方が楽だと思えるのです。
「性」は、肉体という実体を伴って重たいからです。
 
主人公は谷沢結佳です。同じ習字教室に通う同学年の伊吹と、興味本位からキスをします。
同学年だけど違うクラス、学校で話しをすることはない、という或る意味気安い関係性から、遊び感覚でスタートします。
 
その関係は中学生になっても続きます。
中学には、クラスに階級があります。
 

このクラスで、大体女子は五つほどのグループに分かれている。私たちは、下から二番目の「大人しい女子」のグループだった。

 

その順番は、誰が決めたというわけではない。でも誰にでもわかる。季節ごとに入ってくる転校生たちも、初日でそれを嗅ぎ分けるくらい、私たちは明白に区別されている。

 
伊吹はナイーブさがみんなに好かれて、上の階級です。
二人はそれぞれ恋愛対象外の階級に属しています。
 
二人が住む街は、新興の住宅街です。白で統一されたきれいな、そして開発途上の街路と、結佳の成長する骨とが対比して描かれます。
 
主人公は自分の分をわきまえて、空気のようにクラスに存在するよう心がけています。
しかし、ある行動をきっかけとして、クラスのどの階級からもはじき出されます。
 
そうしてはじめて、自分で価値判断をすることの気持ち良さに気付きます。
 

私は、いつの間にか呪縛の外にいた。教室を支配する価値観に見捨てられて、初めて、それから解放されたのだった。

 
仲間はずれにされるきっかけとなった行為は、伊吹とも断絶を意味する行為でもありました。
 
しかし、結佳は自分の頭で考え、自分の言葉で表現し、自分の手で自分の輪郭を得ることによって、伊吹との関係性の本質に迫ることができました。
 

私はちゃんと喋って、伊吹に自分の気持ちを説明した。「私は、早くないと思う。すごく、遅すぎたって思う。私、小学校四年生の頃から、ずっとこうしたかった。でも、我慢してた。四年間も我慢してたから、遅すぎるっていうふうに思う。でも、伊吹がまだ準備できてないなら、もっと待つ。いつまでも、絶対に待つ。」「準備って?」「たぶん、こうすることでしか、表現できない気持ちを持つってことじゃないかなあ」

 
大人の恋愛では描けない、素のままの性愛が描かれていると思います。
 
私達は、肉体を離れて存在することはできない。にもかかわらず、肉体を否定し、宙に浮いた状態で関係性の維持だけに汲々としている。
 

ずっと身体の中にあって、いつも振り回されていた欲望に、はじめて自分で触れていた。欲望は、溜め込むのではなく奏でる、ものだったのだと思った。疼きは音楽のようなものでできていて、肉体は、それを演奏するためにあるのだ。

 
私達は、自己の存在の身体性を取り戻し、そこから本当に大切な関係性を育んでゆくことができるのではないか。
 

「な、簡単じゃん?すぐに出られちゃうんだよ。閉じ込められてるんじゃなくて、閉じこもってるのは谷沢だって感じがする。」

 
開発が止まっていた街には、再開発の槌音が響きます。
結佳は、工事が中断されていた開かずのトンネルの向こうへと自転車を走らせます。
それは、自分の内面を通した新しい世界への一歩のようです。

 

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