佐藤多佳子・著『聖夜』



聖夜 (文春文庫)  


主人公はキリスト教系の高校に通う三年生です。
 

中途半端に心の傷をつついているような俺の日常

 
そんな高校三年の夏に変化が訪れます。
 

高校三年の夏は、メシアンと共に過ぎていき、俺は、『神はわれらのうちに』の曲に、ぱっくり飲み込まれて生きたままボリボリ喰われている気がした。

 
主人公はオルガン部に所属しています。学校の礼拝の時間に部員がオルガンを弾きます。部活というより係のようです。
 
そのオルガン部が学園祭で発表会を行うことになり、主人公はメシアンという作曲家の『神はわれらのうちに』という難曲を選んだのでした。
 
主人公の父親は牧師です。母親は元ピアニストです。
そのような環境で育った主人公は高校生離れしたオルガンの演奏能力があるようです。
 
夏休みの終わりにはなんとか弾けるようになるのですが、納得できません。
 

コーチを始め、うんざりするくらい誉めそやされた。自分が真っ二つに裂ける気がした。誉められてうれしい自分。同時に、違うだろう、こんなメシアンではダメだろうとおぞけをふるっている自分。

 
その曲を選んだのは母親への複雑な思いからです。
母親は、主人公が10才のときに、父親と別れ出て行ってしまったのです。ドイツ人のオルガン教師と一緒になるために。
 

結局、よくわからない。そもそも、おれの“メシアン”なんてものを弾きたいのかどうかすら。

 
文化祭当日、主人公は友達に誘われるまま学校を抜け出してしまいます。
 
聖職者であり常に正しい父、その父と自分を裏切った母、そしてなによりわからない自分という存在…主人公の心は複雑に鬱屈しています。
 
文化祭では弾くことはできませんでしたが、クリスマスにもう一度再チャレンジです。
 

俺は目を閉じた。
今、弾いた音は、もうどこにもない。
音は、生みだしたと同時に消えていく。
生まれて必ず死ぬ人間と同じ。
記憶にだけ残る。
その記憶に、新たな音を重ねていく。
生きること。
弾くこと。
また弾きたいと思った。

 
何かが解決したわけではありません。
文化祭をフケて父から叱責を受けた主人公は、父の正しさとその表裏となった酷薄さをなじるのですが、父は、これまで隠してきた母から息子にあてた手紙の束を渡します。そして、自分の弱さを打ち明けるのです。
 
青春という言葉もあまり聞かなくなりましたが、青春それ自体が少年にとってひとつの大きな事件なのかもしれません。自我の伸長、それに伴う他者の発見、そのとまどいの過程を青春と呼ぶのであれば。
 
作中、母親の手紙は開かれません。
主人公の心の遍歴はまだまだ続くのでしょう。
青春の道程に何ひとつ明確な解などありませんが、主人公がその夏得たものは、変わってゆく予感とその希望だったのではないでしょうか。

 
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