松家仁之・著『火山のふもとで』

火山のふもとで                                 

表題の火山は浅間山のことです。
浅間山のふもと、というより、ほとんど直下といってよい、青栗村が小説の舞台のほとんどなのですが、青栗村はどうやら架空のようです。
鎌原あたりがモデルかと思ったのですが、作中にその名が出てくるので、どうやら違うようです。
軽井沢から浅間山に近づいて少し東に回った辺りのようです。
奥軽井沢の別荘地に建つ、「夏の家」と呼ばれる設計事務所の山荘が舞台です。
主人公は大学を出たばかりの青年です。
村井設計事務所の5年ぶりの新入社員です。
 
時は1982年です。
 
主人公を評して麻里子が言います。
 

「坂西君、けっこう頑固でしょ」

 
この時代は、『なんとなくクリスタル』の時代でした。
 

「嫌なことを嫌ってはっきり言うしね」
「それぐらいで頑固っていわれたら身がもたない」
「でもそうみたいよ。まわりに合わせないで、嫌いとか好きとかを平気で人前で言ってると、頑固ってことになるみたい。あなたは言える?」

 
世は総じて付和雷同の時代だった気がします。ブランドのファッションに身を包み、面白おかしく何でも笑いとばせなきゃダメっ、みたいな時代でした。
主人公のように探鳥会などに参加する少年は、間違いなくネクラと呼ばれていたことでしょう。
ネクラとかネアカとか、まるビとかまる金とか、何でも2つに分けて一方はだめで一方はいい、みたいな単純化と画一化、そして拝金主義が時代の風潮でした。
 
もちろん、そうした前知識がなくても、この小説は楽しめます。
小説の中で時代背景的なことは一切語られないのですから。
この小説自体が、ある意味アクリルケースに入れられた建築模型のようです。
 
『なんとなくクリスタル』が、そんな時代の最先端を生きる若者の、ふっともらしたため息のようなものをすくいとった作品であるとするなら、本作は、時代の表層をはぎとって、あの時代を生きて今に至ったその他多勢の人達の来し方を、丸ごと包み込んだものと言えるのではないでしょうか?
 
物語の縦糸は、国立現代図書館の設計競技への参加です。村井設計事務所はほぼ10年ぶりに公共建築の設計競技に参加することになり、5年ぶりに新入社員を迎え入れたのはそうした事情があったのです。
 
横糸は主人公と雪子の関係、内田さんと麻里子の関係、先生と藤沢さんの関係、
そしてフランク・ロイド・ライトやアスプルンドといった実在の建築家の名前や作品があちこちにちりばめられ、また、村井先生の先品とされる、おそらくは架空と思われる建築物について語られ、縦糸に縦横に絡みつきます。
 
伏線のような描写が何度も出てきますが、物語は大きくは動きません。
 
物語が動くのは、ようやく15章になってです。全体の中盤です。
やや唐突に、唐突な話がもちあがります。
人間関係に変化をもたらします。
それでも大きく人間ドラマが展回するわけではなく、変化した人間関係のまま、やはり終盤まで、人間関係のナゾの部分を解き明かしつつ、国立現代図書館のコンペに向けた設計の話が続きます。
 
私達の人生というのは至って地味なものです。何かの転機があったとしても、仕事や生活の様々なものに紛れ、そのときには気づかず、後になってあれが転機だったと気づくことがほとんどではないでしょうか?
 

もうひとつ、どうしてもなじめなかったのは「解」という建築用語だ。クライアントが求めるものを設計プランで解決するとき、「解」と書く建築家が少なからずいる。数学とは違って建築には完璧な答えは存在しない。だから「正解」ではなく「解」と一歩引いたのが最初だったのかもしれないが、建築家が当たり前のように「解」と書いているのを見ると、鼻白む気持ちになる。

 
小説が生活や人生をすくい取って提示するものであるなら、やはり作中にわかりやすい「解」などないのでしょう。
 
コンペを前に先生が倒れます。コンペはどうなってしまうのでしょうか?
主不在の設計事務所は?
新入社員の行く末は…?
 
物語の最後、主人公は引退前の建築家として夏の家に現れます。
そこではじめて読者は、あの中盤の唐突な話の、建築家が仕掛けた巧妙な企みに気付かされるのです。
小説が小説らしいことに安堵を覚える不思議な瞬間です。
この瞬間に小説が終わり、読者は小説に描かれなかった主人公の来し方を、自分の人生に重ねて想像するのではないでしょうか?
おそらくはそれが、深い読後感と長い余韻を呼ぶのだと思います。

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