安岡章太郎・著『海辺の光景』

海辺の光景 (新潮文庫)                                 

この小説は母と子の物語です。
「海辺(かいへん)の光景」と読むようです。
 

母と子を結びつけているのは一つの習慣であるにすぎない。けれども、その習慣にはそれなりの内容が別に一つあるということだ。

 
この物語は、その別の内容を解き明かそうとしているようです。
 
主人公は30歳くらいの男です。友人と酒を飲み、原因もわからず酔客と喧嘩をし、ホステスと週末に遊ぶ約束などしています。
都会の虚無的な生活です。
そんなところに父から母親が危篤だという電報が入ります。
母親は精神に異状をきたして一年前の夏、父親の郷里の四国にある海沿いの病院に入院させられていたのです。
 
それより以前、親子3人は鴇沼海岸に住んでいました。
戦争で東京の家が焼け、叔父の別荘を借りて住んでいたのです。
戦争中、父は隊附きの獣医で出征していました。
 
母は既に意識がありません。主人公は死の床にある母の病室で9日間を過します。その間、主人公は父の帰還から鴇沼海岸の家を立ち退くまでを回想し、母と子、父と子、母と父についての関係について思いをめぐらします。
 
病院の前には海が広がっています。
 

高知湾の入江の一隅に小さな岬と島にかこまれた、湖水よりもしずかな海

 

それはまったく“景色”という概念を具体化したような景色だった。

 
そのような景色の中に、精神に異状をきたした人達が集められ、最後には母のように死を迎えることに主人公は愕然とするのです。
 
更に、海辺で言葉をかわした男が、事務室で鍵を受け取って自分の病室に入って行くことに驚愕します。
 

おそらく、この男は残りの全生涯(といっても僅かなものだろうが)を、この病院で送ることに心を決めているに違いない。そうだとすれば“みずからの手で人生を選び取る”などということはまったく大したことではないようにおもわれる。そんなことを云ってみても所詮は、この男のように自分で自分の檻の扉をあけることにすぎないようだ。

 
主人公も出征していましたが、結核になって帰還しました。
戦争中は国全体がひとつの目的に向かって個人の考える余地は限られていました。病院でさえ
 

点呼や号令やさまざまな罰則

 
に縛られていました。
逆に言えば、意志を持たなくてよかったのです。
 
主人公はどこか投げやりです。
鴇沼の家を追いたてられるのですが、主人公は既に精神に異状をきたしていたと思われる母親が忘れたス一ツケースを探して、引っ越しの翌日に再び鴇沼に戻ります。
 

しかし、そのわずらわしさは信太郎にとって、それほどイヤなものには思えなかった。この種の無駄骨を折ることに狎れっ子になっている、というより何かそういうことがなければコマるような気さえするのだ。

 
主人公は病院で看護師や医者の言葉や表情の意味するところをしきりに理解しようと努めます。しかし、結局はわからないのです。
帰還した父は、既に他者を理解することすら放棄しているように見えます。目に見えるもの、手に触れられるものだけで自分の世界を再構築しているように思われます。
 
褥瘡の手当てをしていると、意識のないはずの母が「痛い」と言います。すかさず看護師が息子が来ていることを耳元で叫びます。すると母は一言「おとうさん」とつぶやくのです。
 

あの一と言で三十年間ばかりも背負いつづけてきた荷物がなくなった

 
母は亡くなります。
 

或る重いものが脱け出してゆくのを感じそのまま体がふわりと浮き上がりそうで、しばらくは身動きできなかった。

 
主人公は嗚咽する伯母や父を浅して病室を出ます。もはや生命を失った母の肉体には興味がないというように…。
 

息子はその母親の子供であるというだけですでに充分償っているのではないだろうか?母親はその息子を持ったことで償い、息子はその母親の子であることで償う。彼等の間で何が行われようと、どんなことを起こそうと、彼等の間だけですべてのことは片が附いてしまう。外側のものからはとやかく云われることは何もないではないか。

 
主人公は海岸に出ます。
そしてあの「“景色”という概念を具体化したような景色」の、ある変化に驚くのです。
 

彼は、たしかに一つの死が自分の手の中に捉えられたのをみた。

 
戦後、家父長制が崩壊したと言われます。個人主義が浸透したとも。しかし、親子の関係とはそういった社会的位置付けとは一線を画すものではないでしょうか?家族主義とか個人主義とかいう言葉に乗っかって、社会の貫習に従っていれば、確かに楽ではあるのです。
この作品は昭和34年に発表されました。
敗戦とともに価値観が崩壊した中で書かれたのだと思います。
しかし、そうした時代背景を抜きにして読んだとしても、ここに描かれる主人公の母の死に対する接し方は、ある種の普遍性を持つものと思われます。
主人公はこの9日間で、自分の来し方と母の生、そしてその死を受け入れたのだと思います。
意識のない母を見守り、蠅を追い、日除けを作り、生身の母との即物的な関わりのみが、寧ろその関係性を際だたせてくれたのだと思います。
看護師や医者の言葉や表情に惑わされるのとは対象的に。
主人公は父や母との関係を重荷に感じています。しかしその重みは、私達の人生の重要な一部です。
そしてときに生は醜悪さを漂わすものでさえあるようです。
しかし、その醜悪さも含め、関係性の重みを取り去ったとき、私達は、体をあずける病室の壁の冷たさに耐えられるでしょうか?
主人公が最後に見る光景は、綿々と続く命の受け渡しの光景だと思います。主人公はそこでひとつの死を受けとり、同時に自分の生を得た実感を持ったのではないかと思います。

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