長野まゆみ・著『野川』

野川                                 

中2男子の2学期の物語です。
 
本編は14の章にわかれていますが、「1 家庭の事情」の前に、章割りに含まれない前節がもうけられ、本編のタイトルともなっている「野川」について語られます。
そしてその語り口は、叙景というより、大岡昇平の歩哨の目のような、地勢学的であり、地理の教科書のようです。
ただし、重要なのは、その地理の教科書のような説明を、国語の教師がする点です。
 
主人公の両親は、夏休みの前に離婚します。
 
主人公の音和は、失業した父と一緒に暮らしはじめ、中学校を転校します。
転校した先の担任は音和に言います。
 

意識を変えろ。ルールが変わったんだ。

 
と、中学生に向けた言葉としては、やや残酷に突き放したことを言います。しかし、家庭の事情に同情され、下手な同情の言葉や励ましを受けることを何より恐れていた主人公は寧ろ救われた気がするのでした。
 
音和は、この担任が顧問を務める新聞部に入ります。
新聞部といっても、新聞の発行もしなければ研究もしません。
なんと伝書鳩を飛ばして通信の訓練をするのです!素敵です!本当にこんな部活のある学校ってあるのでしょうか?
 
その新聞部で、音和は“コマメ”と名付けられた飛べない鳩の世話をすることになります。
 
担任は生徒達に、学校のある段丘について、数万年も遡って話して聞かせます。
 

自分の意識の中に、もののかたちをとどめ、くりかえし、その意識をひきだして再現することの価値に気づいてほしい。

 
そう考えるからなのでした。
 
1級河川とはいえ狭いところでは川幅2メートルたらずの「野川」から、武蔵野河岸段丘、丹沢山塊、関東平野、富士山、伊豆半島、、、音和ら生徒と一緒に、読者は想像の中で鳥瞰するのです。数万年の時間軸を織り込みながら。
 
担任や新聞部の先輩から刺激を受けて、音和は変わってゆきます。
父への複雑な思いも、自分の中で客観視できるようになったとき、コマメの飛翔が、音和の想像力の羽となり、意識を高く高くもちあげてゆきます。
 
自分の存在がちっぽけであることは、誰に言われなくても知っている。しかしそのくせ、小さな失敗にくよくよしたり、自分の考えや感情、あるいは事情を殊更重大であるかのように考えて、声高に叫んだり嘆いてみせたりする。
そんなとき、いま見えているものの下に、或いは向こうに、自分をちっぽけだと感じさせる何かがあったら…。それは自分の卑小さを自覚させると同時に、かなしみとおかしみとをくり返す人生が、決して捨てたものではない、愛惜しむべきものであることを実感させてくれるのではないか、そしてそのために、私達はより多く、具体的なことを学んでゆかなければならない。
そんなことを気付かせてくれる小説でした。

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