作者は一人の人物を創作します。
当然です。小説ですから。
阿Qという主人公です。
阿Qという人物の「正伝 」 であることを第一章で述べています。
小説ではなく、一人の人物の評伝という形にしたいようです。
当然です。小説ですから。
阿Qという人物の「正伝 」 であることを第一章で述べています。
従来不朽の筆は不朽の人を伝えるもので、人は文に依って伝えられる。
しかし、阿Qという人物は偉人でも英雄でもありません。
阿Qは家が無い。未荘の土穀祠の中に住んでいて一定の職業もないが、人に頼まれると日傭取になって、麦をひけと言われれば麦をひき、末を搗けと言われれば末を搗き、船を漕げと言われれば船を漕ぐ
どうやら阿Qは社会階層の末端に位置しているようですが、本人にその意識はなく、本人にその意識がないのだから、阿Qはどの階層にも属していない、と言えるでしょう。
阿Qはまた大層己惚れが強く、未荘の人などはてんで彼の眼中にない
そうして村の者と喧嘩をしては懲らしめられるのですが
乃公は自ら軽んじ自ら賤しむことの出来る第一の人間だ。そういうことが解らない者は別として、その外の者に対しては「第一」だ
やむなく地元を離れ「城内」で働くのですが、少々盗みなどもしたようです。
阿Qは少々の蓄えと盗品の現物を持って地元に帰還します。
すると村の金のある者は、阿Qがなぜそれを持っているか詮索することなく、安く手に入れようと、阿Qと交渉します。
全く現金なものです。
阿Qもまた、ここぞとばかり革命に参加していることを匂わせ、社会に自分の位置を得ようと考えます。
阿Qは己惚れが強く意味もなく尊大で、愛されるべき善良さもありません。
しかし、だからといってその結果と周囲の反応にも、何か心にザラついた感じを残します。
皆損得勘定と打算でしか動いていないように見えるのです。
人間はそのように負のスパイラルにはまり込んでゆくものなのか。
この小説に希望は一切ありません。しかし、今なおこうして読み継がれていることが、魯迅が作中に描かなかった、人間の希望の小さな証しではないかと思うのです。
<PR>高校生アルバイト特集