主人公はキリスト教系の高校に通う三年生です。
中途半端に心の傷をつついているような俺の日常
高校三年の夏は、メシアンと共に過ぎていき、俺は、『神はわれらのうちに』の曲に、ぱっくり飲み込まれて生きたままボリボリ喰われている気がした。
そのような環境で育った主人公は高校生離れしたオルガンの演奏能力があるようです。
コーチを始め、うんざりするくらい誉めそやされた。自分が真っ二つに裂ける気がした。誉められてうれしい自分。同時に、違うだろう、こんなメシアンではダメだろうとおぞけをふるっている自分。
母親は、主人公が10才のときに、父親と別れ出て行ってしまったのです。ドイツ人のオルガン教師と一緒になるために。
結局、よくわからない。そもそも、おれの“メシアン”なんてものを弾きたいのかどうかすら。
俺は目を閉じた。
今、弾いた音は、もうどこにもない。
音は、生みだしたと同時に消えていく。
生まれて必ず死ぬ人間と同じ。
記憶にだけ残る。
その記憶に、新たな音を重ねていく。
生きること。
弾くこと。
また弾きたいと思った。
文化祭をフケて父から叱責を受けた主人公は、父の正しさとその表裏となった酷薄さをなじるのですが、父は、これまで隠してきた母から息子にあてた手紙の束を渡します。そして、自分の弱さを打ち明けるのです。
主人公の心の遍歴はまだまだ続くのでしょう。
青春の道程に何ひとつ明確な解などありませんが、主人公がその夏得たものは、変わってゆく予感とその希望だったのではないでしょうか。
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