この小説の主人公は「船」でしょうか?
たまたま(?)船は、自分を語る人称を持っていないので、登場人物達が自分を語ることによって、その「船」について物語る、そんなお話だと思いました。
一人称小説ですが、話し手が何度か変わります。
この「船」は、内海の小島と陸地を往き来するフェリーでした。前後から車を出し入れでき、狭い港で回頭する労を省くため、前後に進めるように、操舵室も前後についている、即ち「双頭の船」なのです。
老朽化で廃船になる予定が、地震と津波で被害を受けた地域で復興を支援するために再利用され、時計の振り子のように島をつないでいた船が、退役を前に一方通行の旅に出たのです。
その旅は、過去から現在、そして未来へ続く旅、即ち「人の営み」そのものだと思います。
登場人物の中で一番多く語るのは海津知洋、自分で何かを決めることが苦手な青年です。中学校の恩師・風巻先生に伴ば命じられて船に乗り込みます。そこで与えられた仕事は自転者修理です。
各地から集められた自転車を整備して被災地に届けます。
元々はフェリーなので、車を積むスペースの一角に自転車が運ばれ、自転車修理を開始します。
船には様々な人が乗り込んで来ますが、やがて車を積むスペースにプレハブの家が建てられ、被災者が避難所からやってきて住むようになります。
船の中はひとつの街として機能しはじめ、それと同時に政治的になってゆきます。
声の大きい人、地に足をつけお墓を守って生きたいと願う人、知洋のように何も決められない人、命の奔流に身を任せて流れてゆける人、やがてそれぞれがそれぞれの方向に旅立ちます。
更に船は成長し、半島になります。そう、この船は成長する船だったのです!?もう、後ろに進むことはありません。
最後は桜の植樹の場面で知洋の独白です。
十年もしたらここは桜吹雪ということになるんだろう。首に巻いたタオルで汗を拭いながら青い空を仰いでその光景を想像した。
そんなもの見たくない、その時ここにはもういたくないと思う。それでも丁寧に一本ずつ苗木を植えた。
知洋は外部からやってきた者だから当然といえば当然だし、また、復興の地で育った若者も、やがては桜に別れを告げて、また新たな土地で桜を植える。それこそが復興の最終形態で、私達が乗り合わせている「双頭の船」なのではないでしょうか。