本谷有希子・著『嵐のピクニック』

嵐のピクニック                                 

残念なのは、長編でないことです。
中味を確認せずに読み始めるのは私の悪い癖なのですが、私はこの本を長編だと思って読みはじめました。
 
第1話の「アウトサイド」は中学生の女の子の一人称で小気味よく語られます。
この第1話を読んでいる間中長編であると思い続け、今後の転開にゾクゾクしていたのです。
そして第1話の最終ページで主人公が17歳になって妊娠をして、という性急な転開でようやくこれが短編だと気付いたのです。
 
できれば連作であって欲しいと願いましたが、本書は13の独立した短編から成ります。
 
短編というよりは、ある意味ショートショートといった趣を感じさせます。
 
例えば、「マゴッチギャオの夜、いつも通り」は、動物園のサル山に入れられたチンパンジーの話し、「タイフーン」は台風の日に傘をさして空を飛ぶことに挑戦する人の話し、といったように、ユーモアと意外なオチが連想され、実際読み物としてどれも面白いのです。
 
でもこの本をショートショート集として読むのは誤りです。
 
「哀しみのウェイトトレーニー」は、純朴な妻が、卑屈な幼稚さの残る夫に内緒でボディービルダーになる話しで、その設定はショ一トショ一ト的に意表を突いているのですが、
 ボティービルのポージングで作る笑顔について主人公はコーチに向かってこんなことを言います。

そうやっていつも笑っていると、自分の本当の気持ちが分からなくなりませんか。本当は泣きたいほど哀しいのに笑うなんて、人間として正しいことでしょうか。私は、私はこんなことならもっといろんな表情を夫に見せておけばよかった。私には彼が知らない、もっと豊かな内面があるのに

 
私は作家がどのように小説を書くか知りませんが、このような長編小説のエッセンスのようなものが随所に配置されているのです。
 
第1話の「アウトサイド」に戻りますが、ピアノ教室に嫌々通わされる中学生が、ピアノ教師の気まぐれか、計略か、或いはもっと悪意ある動機からか、ちょっとした練習からピアノの練習に打ち込むようになり、それまでの安直で怠惰な、そして放縦な遊びに興味をなくす話と、それと平行して、ピアノ教師が直面していた生活の重石とその結果としての悲惨な事件が、実に少ない頁数でコンパクトに描かれ、主人公の今後の行く末を、本当にゾクゾクしながら期待したのですが、返す返すも長編でないのが残念です。
 
でも、全てを読み終えたあと、もう一度ぱらぱらとめくってみてると、どの作品も頁数以上の広がりを持っていて、書かれなかった長編の余韻を想像の中で楽しむことができます。

13の仮想長編集です。
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