中村文則・著『去年の冬、きみと別れ』



去年の冬、きみと別れ 

悲しみも憎悪も喜びも全て終わっていく。僕の人生もやがては過ぎていく。小さな石の墓の周りを、静かに風が通り過ぎていくように。

 
前を向いて歩いていたつもりが、ふとした瞬間、実は後戻りしていることに気付く、私達の人生には、ひょっとしたらそんなことがあるかもしれません。
 
そのきっかけは、まるで知らない誰かの小さな狂気、あるいは転落に始まって、他人の大きな狂気にはまってあらがううちに、自ら大きな狂気となってその狂気と自らをほろぼしてゆく…。
 

M・Mへ
そしてJ・Iに捧ぐ

 
この本は冒頭に献辞が置かれていますが、この本全体が殺人事件のルポルタージュとなっています。
 
物語は、殺人事件で収監されている容疑者に、その事件のルポを依頼されたライターが面会に行くところからはじまります。
そのライターの1人称で小説が始まりますが、小説の章と章の間に、その殺人事件のものと思われる資料が差し挟まれます。
ライターの集めた資料だと思っていると、どうも様子が違ってきます。
ライタ一自身が、どうやら観察対象に含まれているようです。
 
1人のカメラマンが、2人のモデルを焼き殺した猟奇連続殺人、その犯人像に迫るライター、しかしライターが辿り着いたのは同じ殺人事件に仕組まれた別の殺人事件でした。
 
そして最終章、ライターは観察者と対峙します。静かな殺し合いの場面に息を飲みます。
 
その対峙によって、何かが喪われ、何かが再生したように思います。
 

僕の真の欲望は、破滅的な人生を送ることでもない。荒々しいことを求めることでも、見事な芸術をつくることでもない。安定を求め、時々破滅に憧れ、職業は何でもいいから少しだけ皆から羨ましがられること

 
通り過ぎた狂気のあとに、辿り着いたライターの心境です。

愛するという行為に少しく狂気が含まれるとするなら、私達は日常の描く軌跡をもっと注意深く見極める必要があるのかもしれません。
ライターが辿り着いた感慨はいささか凡庸と言えるでしょう。しかし、狂気の悪魔と化した人々を前にして、それは重みのあるポイントではないでしょうか。どこで人生のポイントが切りかわるか、その渦中にあっては見極めることが難しいのですから。
 

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佐藤多佳子・著『聖夜』



聖夜 (文春文庫)  


主人公はキリスト教系の高校に通う三年生です。
 

中途半端に心の傷をつついているような俺の日常

 
そんな高校三年の夏に変化が訪れます。
 

高校三年の夏は、メシアンと共に過ぎていき、俺は、『神はわれらのうちに』の曲に、ぱっくり飲み込まれて生きたままボリボリ喰われている気がした。

 
主人公はオルガン部に所属しています。学校の礼拝の時間に部員がオルガンを弾きます。部活というより係のようです。
 
そのオルガン部が学園祭で発表会を行うことになり、主人公はメシアンという作曲家の『神はわれらのうちに』という難曲を選んだのでした。
 
主人公の父親は牧師です。母親は元ピアニストです。
そのような環境で育った主人公は高校生離れしたオルガンの演奏能力があるようです。
 
夏休みの終わりにはなんとか弾けるようになるのですが、納得できません。
 

コーチを始め、うんざりするくらい誉めそやされた。自分が真っ二つに裂ける気がした。誉められてうれしい自分。同時に、違うだろう、こんなメシアンではダメだろうとおぞけをふるっている自分。

 
その曲を選んだのは母親への複雑な思いからです。
母親は、主人公が10才のときに、父親と別れ出て行ってしまったのです。ドイツ人のオルガン教師と一緒になるために。
 

結局、よくわからない。そもそも、おれの“メシアン”なんてものを弾きたいのかどうかすら。

 
文化祭当日、主人公は友達に誘われるまま学校を抜け出してしまいます。
 
聖職者であり常に正しい父、その父と自分を裏切った母、そしてなによりわからない自分という存在…主人公の心は複雑に鬱屈しています。
 
文化祭では弾くことはできませんでしたが、クリスマスにもう一度再チャレンジです。
 

俺は目を閉じた。
今、弾いた音は、もうどこにもない。
音は、生みだしたと同時に消えていく。
生まれて必ず死ぬ人間と同じ。
記憶にだけ残る。
その記憶に、新たな音を重ねていく。
生きること。
弾くこと。
また弾きたいと思った。

 
何かが解決したわけではありません。
文化祭をフケて父から叱責を受けた主人公は、父の正しさとその表裏となった酷薄さをなじるのですが、父は、これまで隠してきた母から息子にあてた手紙の束を渡します。そして、自分の弱さを打ち明けるのです。
 
青春という言葉もあまり聞かなくなりましたが、青春それ自体が少年にとってひとつの大きな事件なのかもしれません。自我の伸長、それに伴う他者の発見、そのとまどいの過程を青春と呼ぶのであれば。
 
作中、母親の手紙は開かれません。
主人公の心の遍歴はまだまだ続くのでしょう。
青春の道程に何ひとつ明確な解などありませんが、主人公がその夏得たものは、変わってゆく予感とその希望だったのではないでしょうか。

 
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髙樹のぶ子・著『香夜』



香夜  

四編に分かれています。

主人公は四編とも満留瀬流奈という女性です。
四編それぞれほぼ独立しているのですが、四編を通すと流奈の一生が浮かび上がります。
 
一生とは生から死へのひと連らなりであることに間違いはありませんが、瞬間の連続でありながら私達は断片を生きているに過ぎず、そしてその断片は独立しつつその断片同士が、時には思わぬ時間と空間を超えて影響しあっている、そのように考えると、私と認識する私は、かほど確固たるものではなく、夜に溶け込んだ匂うはずのない香りのようなものかもしれません。
 
この小説は現実と幻想が混在しています。
 
流奈は生まれ育った街を歩いています。故郷を離れてだいぶ経っているようです。
金魚を一匹連れています。金魚に後ろから茶々を入れられながら歩いています。
 

海がこう、湾曲してふるさとを抱え上げるみたいに拡がっていて、その真ん中に島が一個あって、その島のてっぺんにほら、パラボラアンテナが立っとって、そのアンテナで辺根市は世界と繋がってた。

 
暗示的な地形の描写です。
 
帰省の目的は初体験の男を殺すことです。ショルダーバッグには殺人の道具がぎっしり詰まっています。
 
一編目の『霧雨に紅色吐息』では、流奈が経験した2つの忌まわしい性体験が二つ語られます。
二つとも相手は同じです。
 
留奈はその男と対面します。しかしその男は既に死んでいるのです。しかし、留奈は殺します。死んでいてなお、留奈はその男を殺さなければならない。留奈は一体何を葬ろうというのか。
 

澄人を殺しさえすれば、何十年も背負ってきた襤褸衣みたいなものが落ち去ると信じていた

 
全編通じて、揺るぎないはずの生が、ゆらゆらと心細く立ち惑います。
 
生を支配する性、そして死。
私達は生きているのか、生きていて死んでいるのか、死んでいて生きているのか、生とは刹那の感覚なのか、読むほどに見つかりかけた淡いものが消えてゆき、不安な安定の中に落ちてゆきます。

年を重ねても行き着く先などどこにもなく、15の自分とまた出会う。
人生の虚しさとかやりきれなさといった言葉さえ空疎に感じる、そんな小説でしたが、頁を閉じたあと、自分の体の重み、それだけは確かなものとして残っていて、ふと安心を覚えつつ、同時にまた不安が頭をもたげる、不思議な読書体験でした。
 
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