真摯で峻烈な内省を秘めたエッセイを、穏やかな易しい文章で綴った須賀敦子ですが、本書は氏の全集の第5巻で、主に詩を中心としたイタリア語の日本語訳の仕事が収められています。
冒頭は5人のイタリアの詩人について、詩の抄訳と解説です。
「成熟した詩の要素をすでに全部かねそなえたこの作品を読んで、まず心にのこるのは、作者の決然たる静止への志向が支配する、閉ざされた世界である。それは、人生の悲しみを、ものうい眼で冷静にみつめ、自然界の物体を、心をこめて、個々の名で呼んではみるが、決してその生の営みに参加しようとはしない、拒否の世界なのである。」
肝心の詩を抜き出さず、解説の部分だけだと何を言っているかわからないかもしれませんが、抽象的な詩にこの解説がつくと、ストンと納得がいきます。
エッセイのようなやわらかさはありませんが、端的な文章は筆者が詩を読みつつまっすぐに自分の内面と向きあっていることを感じさせます。
いつかは
花の日が
かえってくるだうう。 この町はずれに
さもなくば これに似た どこかに
誰かが
また ぼくの人生を生きるだろう。
そして 青春の烈しい苦しみの
なかに 彼もまた 願い
希望をもつだろう。
因みに、私が須賀敦子の名前を知ったのは、小川洋子の『カラーひよことコーヒー豆 (小学館文庫)』を通してでした。
須賀敦子はそんなガラクタの中にスッと手を差しのべて、ひょいとつまんで大切なものをとり出してくれる、そんな感じでしょうか。
須賀敦子といえばエッセイですが、なぜそんなに惹き付けられるのか、全集を5巻まで読みすすめ、イタリア詩の解説を読むことでようやくわかった気がします。