小林多喜二・著『蟹エ船』


蟹工船・党生活者 (新潮文庫)                                 

主人公はいません。敢えて言えば、そして有り体に言えば、主人公は労働者です。
 
巨大資本に隷属させられ、搾取され、法の枠組みからも、社会の枠組みからさえも隔絶された、オホーツク海上の蟹工船の労働者達。
 
蟹工船とは、蟹漁をしながら船上で蟹の缶詰を作る船のことです。
 
物語は、出港前の様子から始まります。
船には、船員、漁夫、工員、雑夫が乗り込み、棚を寝床にした大部屋に押し込まれます。
これらが労働者であり、船長と、蟹加工を総括する監督が資本側の力を代弁します。
 
逃げることのできない海上での
劣悪な生活環境、強いられる過酷な作業、労働者達は体を壊してさえ休むことを許されません。
資本は過大なリターンを求めるからです。
 
極限状態で労働者は団結します。しかし抵抗は軍隊の介入で失敗に終わります。
この失敗体験は、却って労働者達を賢くさせます。
国も軍隊も資本の側にあって、自分達に味方のいないことを学習します。
 
作中、ほとんど個人名は出て来ないのですが、監督の浅川だけはその名が人物像と共に大きく印象に残ります。
 
労働者の敵は資本であり、社会の搾取構造であり、資本により大きく与する国家なのですが、その資本の力を体現する存在として、浅川が存在します。
 
船上の労働者達は一義的には浅川と対決しなければなりません。しかし、浅川への勝利が、本当の意味での勝利でも、救済でもありません。
 
それは、本船が帰港してから、一連の争議の責任から会社に解雇された浅川が叫んだとされる言葉が示しています。
 

あーあ、口惜しかった!俺ア今迄、畜生、だまされていた!

 
本作は、ツリ一状の社会階層の下層に位置する者達の非人間的な扱われ方を糾弾する作品であることは間違いないでしょう。
しかし、それと同時に、組織の看板を背負うことで、人は他者に対してどこまでも非情で苛烈な要求をすることができるようになるという、人間存在への不信を、私は見せられた気がするのです。
 
そして、労働者の団結によって、労働環境や条件を改善できたとしても、
結局すべての組織が官僚化するとして、
政党や組合も例外でないとするなら、
蟹エ船の問題はブ一メランのように私たちひとりひとりの上に戻ってきて、
今私たちは組織と個の自立性ということについて改めて考えなければならない時代にあると言えるのではないでしょうか。

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