辻原登・著『冬の旅』

冬の旅                                 

重い小説です。誰も救われません。

ひょっとして最後に希望の光が、と期待していると、最後の最後に更に底の底に落ちてゆきます。

 

作中、阪神淡路大震災や、オウムの事件、9.11のテロなどが挿入されます。

この小説を悲惨というなら、現実はそれ以上にむごいということでしょうか?

 

「事実は小説より奇なり珍なり摩訶不思議なり」と言います。

そう、私たちは摩訶不思議な現実世界に住んでいるのです。

 

主人公は刑務所から満期で出所します。所持金は「17万なにがし」。

 

出所から数日で彼は所持金を使い果たし、二度付けOKの串カツ屋で最後の残金で串カツとビールを煽りますが、ここから物語は過去に飛んで、主人公の境遇をたどります。

 

この小説の厚みは、主人公の来歴だけでなく、主人公に関わった人物についても、詳細に描いているところにあります。

 

その描き方は、地名や路線名に至るまで微に入り細に入り詳細です。

 

主人公転落のきっかけになった白鳥満は少年時代から3つの殺人事件をおこします。

刑務所で知り合う久島は、実は主人公の元上司の義理の父で、認知症になった妻を殺めて刑務所に入ります。

主人公の妻になるゆかりは、恋人や震災で亡くなった父の借金の返済のために、主人公の知らない裏の仕事をしています。

またゆかりを闇の世界に引きずり込むヤクザ油谷の車の運転手は、出所してきた主人公に通りがかりで因縁を付け金を巻き上げます。

そうした挿話が、実際の事故や災害といった時代を背景に丹念に描かれてゆきます。

 

主人公が一番穏やかに過ごした時期を、作者は「春の夢」という短い章にまとめています。

私達の生活の中で、幸せと呼べる期間がどれほどあるでしょう?

往々にして気付かず、あとから考えてあの時期は幸せだったと気付くのではないでしょうか?そして過ぎ去った季節のなんと短いことか!

 

主人公は転落します。転落のくり返しです。

それは主人公だけではありません。白鳥も久島もゆかりも、そして、ヤクザの三下の男でさえも、どうやら幸せとは縁遠いようです。

 

ただひとつ言えることは、誰もが自らの意思でそうなったわけではないし、自らの意思でその転落を止め得なかったということです。

 

これを、運命と言ったり、宿命と言ってしまうと、どうやら運命とか宿命とは、転落の坂道でしかないように思えます。

 

この摩訶不思議な現世にあって、私たちはどのように人生を規定し、己の生を全うしたらよいのでしょうか?

主人公の最後の選択は不条理です。全くもって陰惨の極みです。

こんな選択が許されるわけありません。でも、この不条理は、形こそ違え、私たちの日常にだって潜んでいるかもしれません。

 

人間らしく生きるために仕事をします。しかし、朝の通勤ラッシュのなんと非人間的なことか。人間らしく生きることの渇望が非人間的な生産活動への参加というこの不条理…。

 

私は別様に生きえたのに、このようにしか生きえないのは何故であるのか

 

誰でもこのように思うことはあると思います。

でも、自分はこのようにしか生きえなかった、そう思い至したうえで、自分の人生に、何かの意義付けをしてゆかなければならないのだと思います。

しかし、自分の人生に関わる様々なことどもについて、私たちにはなんと知らないことの多いことか…。

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