堀江敏幸の“育児小説”です。
この小説を読んで、泣きそうになった、と言ったら変でしょうか?
主人公は、40代の独身男性と生後間もない赤ちゃんです。事情から男は弟夫婦の娘の世話をすることに。
「なずな」は赤ちゃんの名前です。
小説は、男がうたた寝をして、電熱器にかけたやかんを空焚きさせるところから始まります。やかんの空焚きは、よくあること、ではありませんが、授乳やおむつ替えなどの育児疲れから、家事や仕事などでうっかりミスをする、ミスをしないまでも、ストレスで気持ちに靄がかかったような状態になる、というのは、育児経験者なら誰でも経験があるのではないでしょうか?
男は地方紙の記者をしており、社主の配慮により在宅で仕事をしています。
新聞記者という視点から、地方の抱える問題が、育児と平行して描かれます。
道路建設に絡む利権、大型ショッピングモールによる生活圏の変化と交通渋滞、回転寿司チェーンの進出と飽食。
しかし作者は、声高に失われたものを嘆いたり、こうあるべきと訴えたり、また利権ずくめの腹黒い人物を登場させたりしません。
「生後二ヶ月の子どもの肺なんてまっさらの消毒済みのガーゼより清潔なんだから、どうせ汚すのならいい汚れにしてあげないと」
そう、わたしたちは汚れているのです。逆にいうと、皆等しく無垢で純粋な部分を持っているハズです。
小説中道路建設の利権絡みで邪な欲得の存在がほのめかされますが、作者は利権の中心にあると思われる人物を意外な善意の人として描きます。
それは、主人公がなずなを通して世の中を見ているせいだと思います。確かに社会環境は変わります。
でも、生まれてくる赤ん坊に変わりはありません。赤ん坊は人をひきよせます。独身のままでは得られなかった人づきあいを、主人公は育児をとおして手に入れます。そしてそれは新聞記者としての情報源としても役立つのですが、それはただ単に情報源を得た、ということではなく、育児を通してそれまでとは違った視座を得たということではないでしょうか?
この小説は、主人公が弟夫婦から子供をあずかる話しなので、最後には子供を返すのだろう、と想像はしていたのですが、なずなと別れなければならないと思うと、最後は涙が出そうになりました。