石牟礼道子著『食べごしらえおままごと』


食べごしらえおままごと (中公文庫)                                 

「食べることには憂愁が伴う。」

石牟礼道子の食のエッセイです。

最初のページの一文に、惹き付けられました。須賀敦子全集の第5巻を買いに行って、同じ棚にあり、『椿の海の記』を読んだばかりだったこともあって手にとってみたのです。

冒頭に上品そうな料理 の写真があります。グルメ本なのでしょうか?そうかと思うと「美食を言い立てるものではないと思う。考えてみると、人間ほどの悪食はいない」と前書きが始まります。更に「食生活に限らず、文化というものは、野蛮さの仮面にすぎないことも多くある」「(中略)食べることには憂愁が伴う。猫が青草を噛んで、もどすときのように」。色とりどりの手の込んだ料理からいきなり人間の営みの根元にずいと引き込まれます。

写真の料理は、作家自らの手によるものです。見るからに手が込んでいるのですが、作家はまさにその手を描き、またそれを口に運ぶ人を描きます。その手とは、米や野菜を作り土や生肥をいじる手にまで至ります。

作家は東京の「野菜のおいしくなさ」を嘆くのですが、私の食生活の貧しさは、単に野菜のせいではなく、インスタントや出来合いの惣菜に頼って、ただ空腹を満たすために取る食生活からくるのだと思い当たります。

あとがきで作家はこう言います。

「人の縁というか絆ということを沈潜して考えるようになった。それなくしては人は生きられない。

具体的な表現として、「食べごしらえおままごと」があった。大切な夢として今も続いている」と。

生きてきたことの一つの証として食生活があり、その食生活は土をいじる手、魚をさばく手、ロに運ぶ手、様々な手を介しており、その手は生きることの本質に繋がっている。そうして作家はそれを大切な夢だと言い、まだ続いているのだという。『苦海浄土』にしても、『椿の海の記』にしても、現実を描きながらも、どこか幻想的な夢譚を思わせる、作家の視座を垣間見た気がしました。

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